こんにちは。番町麹町こどもクリニックです。
今日は番外編!病気のことではなく、当院の名前にもなっています番町麹町についてです。5/9放送の『博士ちゃん』で、お城博士のひびきくんが、この番町・麹町界隈の歴史について解説してくれました。JR四ツ谷駅麹町口から半蔵門にむかって麹町大通り沿いを歩きながら、なかよし公園の向こうに当院もちらっと映りました。番町・麹町は江戸城外堀内にあります。江戸城内郭は皇居一体ですが、そちらを取り囲むように『の』の字に外濠が広がっており、内濠の外側で外濠の内側は武家屋敷でした。特に紀尾井町近辺は紀州藩、尾張藩、井伊藩の旗本屋敷があったことに由来することは有名ですよね。そんな大名屋敷の傍ら、ひびきくん解説によるとこの麹町界隈は町民も住んでいたとのこと。その町民が麹を作っていたから「麹町」という名前になったそう。(諸説あります)千代田区には江戸から伝わる歴史を継承するため、各町に町名由来板という看板が設置されていますが、ひびきくんも番組内で読んでいた『麹町六丁目』の町名由来板にもこの地の歴史が書かれています。この町名由来板がまた興味深く、江戸時代の地図と現代の地図を見比べることができるようになっていますが、その道はほぼ同じ。おそらく重ねてみたらぴったり一致するとおもいます。
まず目につくのは新宿方面から半蔵門へと向かう麹町大通りです。こちらは、大名が参勤交代のとき四谷御門(現在のJR四ツ谷駅付近)から江戸城に入城する際につかわれた通りだとか。さらに将軍が有事の時、甲府方面に退避するための経路だったとか。そのためなのか、半蔵門は徳川家から信頼の厚い武将、服部半蔵が護衛についていたそう。ご存じ伊賀忍者で有名なあのハットリ半蔵です。忍者ハットリくんの方が有名かもしれませんが・・
それから麹町大通りを右手に入り、上智大学の裏を通りながら坂道を下ると、清水谷公園があります。この通りは大久保利通が暴漢に襲われ命を落とした場所です。その4年前同じく新政府のお役人の一人、岩倉具視が赤坂喰違坂(紀尾井坂という説も)で襲撃されています。大久保利通が襲撃された道とほんの数メートル離れているだけで、襲撃事件が立て続けに起きるなんてこの辺りを日常的に新政府の要人たちが利用していたことがうかがえます。紀尾井坂をさらに進むと弁慶濠があり、江戸城赤坂門があった場所にでます。都心ど真ん中ですが、門の一部の石垣が残されています。
いろいろ千代田区番町麹町界隈を巡ってきましたが、さすが江戸だけに徳川にまつわる場所が多く、すっかり徳川ファンになりました。何を隠そう小さい頃は短気だけどかっこいい(イメージ)の織田信長のファンで、そのうち策士で究極の人たらし(イメージ)の豊臣秀吉に惹かれ、歳を重ねるとやはり徳川家康に落ち着いたといったところです。さて、6月12日13日14日には二年に一度の江戸の祭典、山王祭が行われます!各地域気合を入れて神輿の準備中です。それぞれの神輿をかついで男坂を駆け上る姿を始めて見たときは、その勢いに圧倒されました。同時に麹町やら二番町やらの町名を背負った半被姿はとても誇らしくみえました。今年は念願の半被で私も参加予定です。こども神輿もありますのでぜひご参加ください。そのついでにでも千代田区町名由来板にも目を通していただき、この地域の長い歴史も感じていただけましたら嬉しいです。




